ペット用品メーカー勤務を経て、母子手帳からエンディングノートまで、愛猫との生活記録をオールインワンで記入できる「ねこライフ手帳ベーシック」を2019年に製作しました。手帳の販売を通して、飼い主である人間が愛猫の個性と向き合い、理想の暮らし方を自分で考えることの大切さをお伝えしています。
ねこライフ手帳製作委員会の松尾です。今回もよろしくお願いいたします。
日本の動物愛護法には「終生飼養の義務」が明記されています。
同居する動物の命が尽きる瞬間を見届け、来世に送り出すことは飼い主の責任であると法律で定められているのです。
犬や猫と暮らす皆さんはもちろん、この法律をよく理解されているかと思います。
でも実際にその時が訪れた際の悲しみは、事前に想像していた以上だったという人も少なくないでしょう。
ペットロスについては書籍やネット上でいろんな方が論述されていますので、「飼い主の心のケア」については皆さんもその心得を1度は目にされたかと思います。
しかし動物飼育の形は多様化しており、複数頭の犬や猫と一緒に暮らしている世帯も増えている現状。別れの悲しみに対する向き合い方についても、少し視野を広げて考えていく必要が出てきます。
もしあなたのお家に2頭以上の愛犬、愛猫が暮らしているならば・・・
この世を去る順番には必ず後先が生まれることを頭に置いた上で、ペットロスの過ごし方を今から少し冷静になってイメージしてみてはいかがでしょうか。
お兄ちゃんの帰りをずっと玄関で待っていた
リーフはサバトラ柄の女の子。
1歳の時、猫の保護団体から譲渡されて飼い主宅に迎え入れられました。
リーフと一緒に暮らしていたのはゴールデン・レトリーバーのウッズ。
体の大きいウッズでしたが、リーフは怖がることなく近づいていったといいます。優しい性格のウッズもリーフを可愛がり、まるで仲の良い兄妹みたいな関係で毎日を過ごしました。
ちなみにリーフという名前は、ウッズの体に埋もれながらお昼寝している姿を見た飼い主が「森(ウッズ)の中の小さな葉っぱ(リーフ)」のように感じて名付けたそうです。
朝夕の散歩では、飼い主と出掛けていくウッズを玄関で見送るのがリーフの日課でした。
自分も一緒に行きたかったのかもしれませんが、散歩から戻ると「お兄ちゃんおかえりー」と言わんばかりにしっぽをピンと立てて、ウッズを出迎えたといいます。
ウッズの歩き方が目に見えておかしくなったのは9歳の時。診断の結果は骨肉腫でした。
相当な痛みがあっただろうウッズですが、歩きたいという気持ちは最後まで衰えることなく、亡くなる前日も介護用のハーネスを使って外をゆっくり散歩したそうです。
そしてリーフもいつもの通り、ウッズの帰りを玄関で待ち続けました。
ドアが開き、少しふらつきながら帰宅したウッズの姿を見ると、リーフは大喜びで鼻先をくっつけて出迎えたといいます。
――― リーフにとって、ウッズがいない日々というのは想像すらしていなかったかもしれません。
今日もひとりで朝早くからお散歩に行って、まだ帰ってきていないんだろうな・・・
お兄ちゃん、早く会いたいな・・・
ウッズが虹の橋を渡ってからしばらくの間。
毎日朝と夕方になるとリーフは玄関の上り口に座り、ドアをじっと見つめながらウッズの帰りを待っていたそうです。
ドアが開き、大好きなお兄ちゃんが戻ってくることを信じて。
一緒にボールを追いかけたアイツはもういない
2頭揃って愛犬家の家族に迎え入れられたジャーマン・シェパードの兄弟。
風神 雷神にあやかって2頭は「風(ふう)」「雷(らい)」と名付けられました。
ごはんも一緒、寝るのも一緒。お散歩の時も2頭がピッタリくっついて歩いている姿を見た人から「本当に仲良しね」と声を掛けられることもしょっちゅうだったといいます。
風と雷がとても楽しみにしていたのは、庭で遊ぶ時間。
飼い主が投げるボールを追いかけ、奪い合いながら戯れる姿を見ているうちに、「この幸せな日常がこの先もずっと続いてほしい」と飼い主自身も心から思ったそうです。
兄弟というより、お互いのことを良き相棒のように思っていた風と雷。
しかしある日突然、雷の体調に異変が生じます。
雷のぐったりした姿を見つけた飼い主はすぐに病院へ連れていきましたが、診断は急性腎不全。
懸命な治療が続けられたものの、進行が早い病気ゆえに状態はなかなか改善せず・・・2週間後、風は家族に看取られながらこの世を去ったのです。
ついこの間まで元気だったのに。家族にとっては青天の霹靂だった雷の死。
飼い主以上に大きく気を落としていたのが、風でした。
しばらくお散歩にも行かず、庭にも出たくないとリビングから動かなかった風。
食事は隣どうしだった2頭ですが、ごはんを食べながら誰もいない右隣に何度も視線を向け、寂しげにか細い鳴き声を出していたといいます。
リビングでいつものボールを転がして遊ばせようとした飼い主でしたが、風は少し走ったところで立ち止まり、うなだれながら飼い主の足もとに戻ってきました。
――― どこいっちゃったんだよ。アイツがいなかったら、楽しくないよ。
風はこの時、良き相棒だった雷がこの家にもういないことを改めて実感したのかもしれません。
悲しみ、違和感・・・同居する動物たちもロスに苦しんでいる
ペットロスは、愛犬や愛猫を亡くした飼い主が悲しみと向き合う時間。
失うこと自体「ロス」なのですが、来世に旅立った家族との思い出を巡らせ、日にちを掛けて心の中にいろんな感情を湧き起こすプロセスもペットロスに含まれます。
一方で複数の家庭動物と暮らす飼い主には、同じように毎日を過ごし、先立たれた犬や猫たちの心痛にも気持ちを向ける必要も出てきます。
犬や猫たちも心を持った生き物。悲しみや喪失感は少なからずあるでしょう。
いつも一緒に遊んでいた、日常を過ごしていた相手がいないことの違和感がストレスとなり、これまで見られなかった行動を取ることだってあるかもしれません。
彼らもまた、飼い主と同じペットロスの時間を過ごしている。その理解がまずは必要です。
いまある命に寄り添い、悲しみを共有することの大切さ
では、飼い主は残された愛犬や愛猫たちにどう接すればいいのか。
難しく考える必要などなく、ただ側にいて一緒に時間を過ごす。これに尽きるのではないしょうか。
飼い主も愛犬や愛猫も、抱えているのは同じ悲しみ。ペットロスに必要な「悲しみの昇華」を自分だけでやろうとせず、一緒に共有しながら旅立っていった家族のことを思うのは悪いことではありません。
仲間や兄弟を失った犬猫たちも、もしかしたらやり場のない悲しみや虚無感で頭の中がいっぱいになっているかもしれません。先ほどご紹介したエピソードのように、物言わぬとも自らの行動で気持ちを表すことは往々にしてあります。
ペットロスを有意義に過ごすことは、とても貴重な経験につながると思います。
命の尊さ、そして「生」に対する考えを深める時間にできたならば、自分自身の人生、そしていま一緒に過ごす犬猫たちの生涯にもこれまでとは違った視点や価値観が生まれるかもしれないからです。
生きていること、そして生きていることのありがたみを深く実感するためにも、家族を失った悲しみを分かり合える存在を大事にしたいもの。
残された犬猫たちをしっかりと見つめ、しっかりと寄り添うことは忘れないでほしいですし、猫3頭と暮らす私自身も、いつか必ず来るその時のために気持ちを備えています。
同じ悲しみを抱える者どうし、この時ばかりはお互いに「癒す、癒される」の気持ちで接してもいいのではないかと、私は強く思うのです。