【愛玩動物飼養管理士監修】ペットと暮らす幸せは「喜怒哀楽」をたっぷり味わえること

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松尾 猛之(ねこライフ手帳製作委員会委員長/愛玩動物飼養管理士1級)

ペット用品メーカー勤務を経て、母子手帳からエンディングノートまで、愛猫との生活記録をオールインワンで記入できる「ねこライフ手帳ベーシック」を2019年に製作しました。手帳の販売を通して、飼い主である人間が愛猫の個性と向き合い、理想の暮らし方を自分で考えることの大切さをお伝えしています。

 

ねこライフ手帳製作委員会の松尾です。今回もよろしくお願いいたします。

 

今からちょうど5年前の春。

我が家に2頭目の猫が来た時、ふと考えたことがあります。

 

「ペットを家族として迎え入れ、一緒に暮らす幸せって何だろう?」

 

かわいい、飼いたいなどといった思いが芽生えることからはじまる、ペットとの暮らし。

我々人間にとっては心の安らぎとなり、生命の尊さを肌で感じさせてくれる大切な存在です。しかしその一方で、育て、養い、終生まで寄り添い来世へと見送る飼い主としての責任も果たさねばなりません。

 

決してポジティブなことばかりではない、ペットとの暮らし。

でも辛いこと、悲しいこと、迷うこと、悩めることもまた、我々飼い主にとってはかけがえのない学びの時間なのではないでしょうか。

 

ペットとの日常は、人間が持つ「喜怒哀楽」の感情を揺り動かしてくれている気がします。

思わず笑顔に・・・何気ない日常の中にある「喜」の感情

午後の窓際、ひなたぼっこする顔がとても気持ち良さそう。

仕事から帰ってきたら、いつも玄関でしっぽを振って迎えてくれる。

ごはんの用意をしている時、足もとから私を見上げてくる顔は世界一。

うたた寝から覚めると、私に身を預けて寄り添ってくれていた。

 

どれも何気ない日常の1コマですが、

ペットと一緒に暮らす喜びはこのような場面の中にたくさん隠れています。

 

 

言葉を発しなくとも、表情やしぐさで分かる親愛の気持ち。

犬、猫といった表現ではなく「家族」だといえる存在だからこそ、心から噛みしめられる幸せのカタチかもしれません。

 

飼い主を思わず笑顔にさせてくれる瞬間こそ、ペットと生活を共にする大きな魅力ではないかと私は思っています。

飼い主として、共に暮らす人間として抱く「怒」の感情

ペットも意志を持った生き物ですから、自由に振る舞いたい時もあります。

ただし場所は家の中。花瓶を倒されてしまった、柱や壁紙に爪を立てて傷つけてしまったなど、思わず目を覆いたくなるような光景も少なくないでしょう。

 

もちろん感情にまかせて手を上げたり大声で怒鳴ったりするのはダメですが・・・怒りたくても怒れない状況に出くわしてしまうことは、多くの飼い主が共感できる「下僕の宿命」といえます。

 

もう1つ、虐待や多頭飼育崩壊といった事件も、動物と生活を共にする者として怒りを隠すことはできません。

 

自分の都合で罪のない動物たちを傷つけ苦しめる愚行を嘆きつつ、我々人間と何ら変わらない重みのある命を持ったペットに寄り添い、慈しむ心を忘れないようにしたいものです。

虹の橋へ送り出した後、前を向くために欠かせない「哀」の感情

家族として迎え入れたペットたちを看取り、次の世に送り出す「終生飼養」。

動物愛護法で定められた飼い主の義務ですが、一緒に過ごしてきた家族を見送ることには哀しみ、そして寂しさが伴うものです。

 

大切な存在が旅立っていく喪失感は、飼い主本人にしか分かりません。

ペットロスの長さや深さも人ぞれぞれですから、第三者がおいそれと言葉を掛けるのも難しいことだと思います。

 

それでも1つだけ客観的な立場から言えるのは、

悲しむべき時間を「避けよう」とするか「受け入れる」かによって、ペットロスの意義が変わってくるかもしれないということです。

 

 

私がペット業界勤務時代に出会った飼い主様の中にも、ペットロスを経験された方は大勢おられます。でも多くの方から聞かれたのは、しっかり泣いた、しっかり偲んだという言葉。

 

「辛くて苦しい時間の中でも、なるべくストレスを溜めないためには『哀しむ』という感情をガマンしないのはとても大事」「亡くなった哀しみだけではなく、これまで一緒に居てくれた感謝の思いも込めて泣いた」と言われた方もいます。

 

 

忘れてはいけないのは、ペットがこの世を去っても、飼い主の人生は続いていくということ。

 

自分の正直な気持ちにフタをせず、別れの哀しみに浸ることも、良き思い出へと昇華させて前を向くためには必要なのではないでしょうか。

毎日でも毎秒でも、ペットと共有したい「楽」の感情

楽しそうに外を歩き、ドッグランで走り回る愛犬。

楽しそうにおもちゃを追いかけ、じゃらしに食いつく愛猫。

 

そんな姿を見ているだけで、我々も楽しい気持ちになります。

 

楽しいと思える相手がいる。楽しみを分かち合える家族がいる。

ストレスや運動不足の解消はもちろんですが、お互いの信頼関係、絆の再認識など・・・「楽しい」という感情は、日常のいろんな気づきにもつながっているのではないでしょうか。

 

私も愛猫との生活では「お互いが楽しい」と思えるコミュニケーションを心がけています。

じゃらしで遊んでいる間、私もスマホで撮影したり、仰向けになった時にお腹の模様をじっくり眺めたり・・・遊ばせるではなく「飼い主も遊ぶ」気持ちが大事です。

 

ペットと飼い主の心豊かな毎日のためにも、「楽」の感情につながる時間はたくさん共有したいですね。

喜怒哀楽の先にあるのは「ペットからの学び」

ペットという命ある、そして自ら意思を持つ家族との暮らし。

その中にあるいろんな出来事を通じて、我々飼い主は「喜怒哀楽」の感情を日々味わい続けています。

 

ペットとの生活が「喜」や「楽」ばかりだったらいいのに、と考えてしまいがちですが・・・動物を育て、養うことはそんなに簡単じゃない。そして甘くない。その現実を思い知る機会が「怒」や「哀」の感情に表れるのかもしれません。

 

とはいえ、飼い主が怒りや哀しみを経験することで得られるものもあります。

それは「学び」です。

 

家族として迎え入れ、近い距離で触れ合う中で、ペットたちは物言わぬともいろんなことを我々に教えてくれます。

 

なぜ鳴く。なぜ吠える。なぜ暴れる・・・みんな理由があることも。

そして命の重みや儚さについても、終生において身をもって飼い主に教えてくれるのです。

 

 

感情が揺り動かされる度に、我々飼い主はペットと一緒に暮らす意義を知り、自身の心の成長にも気づかされます。ペットの存在がいかに大きなものかを実感するためにも、生活の中にある「喜怒哀楽」を、これからもしっかり味わっていきましょう。

 

 

※私のコラムは今回が最後です。これまでご愛読いただきありがとうございました。

 

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