【愛玩動物飼養管理士監修】共生社会への大きな課題・・・「動物が嫌い」という人達に対する理解

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松尾 猛之(ねこライフ手帳製作委員会委員長/愛玩動物飼養管理士1級)

ペット用品メーカー勤務を経て、母子手帳からエンディングノートまで、愛猫との生活記録をオールインワンで記入できる「ねこライフ手帳ベーシック」を2019年に製作しました。手帳の販売を通して、飼い主である人間が愛猫の個性と向き合い、理想の暮らし方を自分で考えることの大切さをお伝えしています。

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ねこライフ手帳製作委員会の松尾です。今回もよろしくお願いいたします。

 

決して忘れてはいけないと、私が肝に銘じていることがあります。

 

ペットの飼育に関する調査は国や自治体、民間団体などで複数行われていますが、多くの結果において飼育率はおおむね30%台の数字となっています。

 

犬や猫を家族として迎え入れるライフスタイルは既に一般世間に広く認知されているものの、実際に同居している世帯の割合は、社会において「少数派」なのです。

 

そしてもう1つ。

 

犬や猫などの動物が苦手という人の割合についても複数の調査があり、どれも20~30%あたりの数字が残っています。

極端な表現で言い換えれば、犬や猫の姿を見て誰もが「かわいい、癒される」と感じていると思ったら大間違いだよ、ということです。

 

私も独身時代はペットと暮らしていない人間でした。ペット業界に身を置いたことを機に属性が変わったわけですが、おそらく以前の自分には「動物愛護」や「動物との共生」といった言葉は響かなかっただろうなと思ってしまいます。

 

人間社会で暮らす動物の幸せも一緒に考えていける時代となりましたが、ペットと暮らした経験の有無、そして動物が好きな人と嫌い(あるいは苦手)な人の間にある「温度差」を避けて通ることはできません。

 

このコラムをお読み頂いている皆さんは動物が大好きな方々だと思いますが・・・

今回は視野を少し広げて「動物が嫌い、苦手な人たち」の気持ちにも寄り添って頂きたいという主旨で書かせていただきます。

「動物が嫌い、苦手」という人にもそれなりの理由がある

私の知人に「小さい頃、散歩中の大型犬に上から乗っかられた時のトラウマが消えなくて」という人物がいます。

 

犬は自分に襲ってくるもの、という固定観念ができてしまったらしく、今でも犬が好きになれないそうで・・・私も幼少期に「野良犬に追いかけられた」「大きな声で吠えられた」経験があるので、その記憶が離れずに苦手意識を持つ人の気持ちはよく分かります。

 

また、外猫に迷惑を被ったことで嫌悪感を抱いた、という話もよく聞きます。

「自宅の庭に入り込まれた」「花壇を荒らされた」「ふん尿で汚されてしまった」など・・・猫にとって居心地の良い環境に感じたからなのでしょうが、せっかく手入れした場所を好き勝手に荒らされてしまうのは納得がいきませんよね。

 

嫌いではないけれど「動物アレルギーだから触ったり近づいたりできない」というやむを得ない理由もあります。

テレビのニュースを見ていて「不衛生な環境でたくさんの猫が飼われている映像が流れてきて嫌になった」など、悪い意味で猫と暮らす人の印象が作られてしまった例も、決して少なくありません。

 

過去のトラウマや迷惑を受けた出来事だけでなく、動物と暮らしている人間に対して悪いイメージを抱いているケースなど、動物を遠ざけたいと思う人にも幅広い理由があることを理解する必要があると思います。

小さな迷惑行為が、ペットと暮らす人全体の印象を変えてしまうことも

メディアで報じられる多頭飼育崩壊や虐待などの事件を見るたびに胸が痛くなりますが、「人の振り見て我が振り直せ」の言葉通り、飼い主が守るべきルールやマナーは周囲への影響だけでなく、犬や猫と暮らす人間に対して世間が抱くイメージにもつながることを考えたいところです。

 

散歩中に愛犬が排出したオシッコやウンチを処理することなく放置した飼い主がいたとします。

後に多くの人が不衛生な光景を目にすることになりますが、反応の中身はそれぞれ異なるかもしれません。

 

同じように犬を飼っている人なら「ダメな飼い主だな」で済む可能性もありますが、ペットに対して良い印象を持っていない人だったら「これだから犬を飼っているヤツは・・・」と、犬と暮らしている人全体への嫌悪感を生んでしまっても仕方ない事案になってしまいます。

 

もちろん悪いのは嫌悪感を抱いた人ではなく、マナー違反を犯した飼い主本人。捉え方によっては「犬の飼い主」という括りで多くの人が悪者扱いされてしまいかねません。こういう部分にも「動物が嫌い、ペットが好きになれない」感情を作ってしまう原因はあるのです。

 

コロナ前には電車などの公共交通機関で愛猫の頭や上半身をキャリーから外に出した状態で座っている人の姿もよく見掛けました。乗客の大半は「かわいいね」の目で見るかと思いますが、もし動物アレルギーの人が隣に座っていたら(マスクをしていても)体調に異変が出る場合もある、迷惑な行為になることを知る飼い主は、それほど多くないような気がします。

 

注意の欠如による迷惑行為は当事者だけの問題だと思いがちですが、広い目で見れば同じ社会で暮らす「犬、猫の飼い主ではない人」との間に余計な溝を作っているかもしれないことを、動物と暮らす人たちは忘れてはいけません。

災害、地域猫・・・同じ方向を向いて考えることが必要な状況も

動物たちとの暮らしは家庭の中で完結するものばかりとは限りません。

愛犬や愛猫たちの生活には社会全体が関係する場面もあります。

 

1つは地震などの災害で避難が必要となった時。

動物病院などの施設に預けられる体制があれば良いですが、地域や被害の程度によっては公共の避難所で安全を守ることも想定しておく必要があるでしょう。

 

しかしペットの受け入れが可能な避難所でも、非常時ゆえに人間の生活が優先される状況は十分に考えられます。場合によってはペットと一緒に逃げて来た人が避難生活において「譲る」意識を求められる現実があるかもしれません。

 

ペット防災については回を改めて書きたいと思っていますが、愛犬や愛猫がいる世帯ではストレスを少しでも軽減させるべく、防災については「自助」の意識が不可欠です。それでもご近所どうしや集合住宅などの身近な範囲で、もしもの時に助け合える避難対応について話し合うなど「共助」の備えがあればより安心かと思います。

 

もう1つ、地域猫についても多くの人たちが関係する取り組みとなるでしょう。

保護した猫に避妊・去勢の手術を施し、元居た場所に戻して地域で面倒を見る形。「TNR」とも呼ばれます。

 

お世話する人間はボランティアさんなどに限られる場合が多いですが、食事や排泄に関する管理が不十分であれば衛生環境にも影響するため、近隣住民とのトラブルにもつながりかねません。

 

地域ぐるみで猫の命を守り、育てていく取り組みに対する理解も大変難しい現状ですが、自治体によっては独自にボランティアを募って地域猫活動の輪を広げていく動きもあります。現場に携わる人の数が増えることで周知の度合いも高まり、動物との共生に対する段階的な理解へとつながっていく結果を期待したいです。

時には一歩引いて考えるココロも持っておきたい

愛犬家どうし、愛猫家どうし、動物大好きな人どうしの会話や交流は楽しいものです。

しかしペットなどの動物と日常的な縁がない、そして縁が持てない人の割合が多いことも我々は理解しておかなければなりません。

 

冒頭の繰り返しとなりますが、日本においてペットと暮らす世帯の割合は「少数派」。

犬や猫と暮らす生活様式に対する認知はされていても、実践のレベルとなればスタンダードとは言い難いのです。

 

動物との暮らしが日常になっている側からの「犬や猫を大切にし、仲良くしましょう」という一方的なアピールだけで、社会は簡単に変わってくれません。日本の「人間と動物の共生」はまだまだ課題の多い黎明期。動物が苦手な人にもいろんな理由があることを理解し、時には一歩引いて考える。この心持ちも共生社会の熟成には必要なプロセスとなるでしょう。

 

ペットと暮らしたいけれどできない、動物に対する良い印象が持てないといった人たちに対しての理解や歩み寄りも、暮らしやすい社会を作り上げる要因になると私は思っています。