ペット用品メーカー勤務を経て、母子手帳からエンディングノートまで、愛猫との生活記録をオールインワンで記入できる「ねこライフ手帳ベーシック」を2019年に製作しました。手帳の販売を通して、飼い主である人間が愛猫の個性と向き合い、理想の暮らし方を自分で考えることの大切さをお伝えしています。
ねこライフ手帳製作委員会の松尾です。今回もよろしくお願いいたします。
2022年の年末、保護猫に関する新しいサービスの発表に対してSNSを中心に大きな反発の声が上がったことが、メディアで話題となりました。
月額を支払うことで猫と暮らせるこのサービスは「猫のサブスク」とも呼ばれましたが、動物の命を軽視したビジネスだという指摘が著名人などからも相次いで起こり、開始から2週間後にサービスは停止されることになります。
3頭の保護猫と暮らしている私自身も、内容を見る限り万人の理解を得るのは難しいと感じたので、この結果は妥当だと思っています。
しかしこのサービスをめぐる一連の騒動について「悪者を叩いておしまい」で済ませて良いものだろうか。そこにまた違和感があったのも事実です。
今回は「猫のサブスク」と呼ばれたこのサービスの何がダメだったのか、そして今回の騒動から得られる学びや気づきがどこにあったのか、私なりにまとめてみました。
猫と暮らしていない人、猫にあまり関心がない人にこの一件がどう伝わったのかも気になります。このコラムをお読みいただいている皆さんにも、年末に起きた「猫のサブスク騒動」をいま一度、冷静に考えていただけたらと思っています。
月額だけでシェルターの保護猫と一緒に暮らせるサービス
問題となったこのサービスは「月額制による会員登録が完了すれば、提携するシェルターにいる保護猫を無料で譲り受けられる」というものでした。
毎月のお金を支払うだけで猫といつでも暮らすことができる点、さらにいつでも手放すことができる点が大きな特徴。これが消費スタイルのスタンダートとなった「サブスク」と比喩される理由でもありました。
批判の声が殺到した理由は「人間の都合で猫を自由にレンタルできる」とも受け取られかねないサービス内容。猫の命をサブスクにするのか、無責任な飼い主が増えてしまう、事故や虐待が起きたらどうする・・・など、SNS上にはこのサービスを認めたくない旨のコメントがあふれ、程なくネットニュースにも取り上げられたことで大炎上に発展した訳です。
これを受けて事業者は円滑なサービス利用を担保しかねることを理由に、2022年の年末にサービスを停止。会員には返金対応を行うとホームページで発表しました。
炎上の原因となった「猫を手放せる権利」と「無審査」
サービスの詳細を見る限り、特に多くの反発を招いたのは「猫を手放せる権利」と「無審査」の2点だったと思います。
利用画面のメニューに「猫を手放したい」という文字を見つけた時、さすがに私も怒りを覚えました。
よほどのやむを得ない事情がない限り、猫と暮らすと決めたら最期まで添い遂げるのが人間の使命。少なくとも愛猫家なら誰もが同じ思いのはずです。
動物愛護法に定められた「終生飼養の義務」に沿わない形も含まれるこのサービス。利用者に飼い主としての責任を求めることなく、自宅で猫と一緒に暮らす時間を提供するのはいかがなものでしょう。
もう1つの「無審査」についても、保護団体から譲渡を受ける上で必ず行われるプロセスを飛ばした、ある意味モラルに反する行為といえます。
無審査イコール「お金を払った人なら誰でも良い」というスタンス。猫たちへの配慮よりも、月額だけで猫と暮らせる人間側のメリットが一方的に優先されたサービスと捉えられても仕方ありません。反対意見に多かった「猫はモノではない」という言葉もここに重く響いてきます。
猫のサブスクを賛成する声への「理解」と「後に残る課題」
物事を見る時、特に自分が支持する立場の声を情報として取り入れたくなるのが人間というもの。しかし冷静な考えを持つためには、自分と反対側の立場に回ってみることも時には必要でしょう。
実際、このサービスに対して肯定的な意見を持っていた人も決して少なくなかったのです。
SNSの声を拾っていくと、支持する理由には以下の2つが目立ちました。
「保護猫の数が減るなら、保護団体の負担も減るからいいじゃないか」
「終生飼養が難しくなる単身高齢者にとっては良いサービスだと思う」
中には「批判ばかり言ってないで、あなたが引き取れば?」という声もありましたが・・・引き取ることができなくても、支持する、あるいは利用したいと思っていた人たちの声に目を通すことで、そこから見えてくる現状もあると思うのです。
まず「保護団体やシェルターの負担が減る」という指摘ですが、表面的に見ればもっともな部分があるかもしれません。方法を間違ったものの、事業者も保護猫を減らしたい意図を持って始めたであろうことには一応理解の余地があります。
しかしこのサービスの場合、シェルター側の負担が一時的に減ったとしても、覚悟を持って猫と暮らしていない人にシニア期のお世話は非現実的と言わざるを得ません。よって長期的に見れば再びシェルターに戻される可能性が高い猫たちを思うと、これが「幸せなねこ生」につながるのだろうか、という疑問は残ることになります。
同じく「単身高齢者でも猫と暮らせる機会が提供される」という声も分からなくはありませんが、大きな問題はこのサービスの特性の1つである「無審査」です。
猫にとって快適な住環境はもちろん、給餌やトイレ掃除など飼い主が責任を持ってできるかどうかの見きわめ、何か起きた時に駆け付けられる家族の存在など、1日たりとも欠かせないお世話を継続できないのであれば・・・少ない月額負担だけで、猫の命に関わる事態を回避できるでしょうか。
批判を受けたサービスは、同じ保護猫活動に携わる人たちの思いを汲んでいただろうか?
「猫のサブスク」と呼ばれたこのサービスについては、一般の愛猫家だけでなく獣医師や政治家などの有識者からも批判が相次ぎました。
しかし批判の中には、猫と人間のマッチングを進める発想自体に理解を示す声があったのも事実。だからこそ「無審査」「原則的に放棄自由」という奇をてらうような要素を前面に掲げてしまったのが、私はとても残念に感じました。
日本には猫たちの命と生活を第一に考え、厳しい条件をもって慎重に保護猫の譲渡を進めている団体が多数あります。
なぜならせっかく譲渡が成立しても、飼い主の飼養に問題が出てしまうと環境の悪化や虐待、さらには再び棄てられてしまう危険まで考えられるからです。
猫1頭を捕獲し、譲渡できるようになるまで育て、見守ることに費やされる時間や労力についてはサービス提供者もよく理解していたはず。日頃いろんな現場で活動されている保護猫スタッフやボランティアが持つ「愛情を持って面倒を見てくれる人の手に渡ってほしい」という思いを逸脱することだけは、止めるべきだったのではないでしょうか。
全否定は簡単だが時代が進まない・・・この騒動を先に生かす手があってもいい
サブスク感覚で猫と暮らせるサービスがビジネスとして入り込む違和感はあまりに大きく、特に猫と暮らす現実を熟知する人たちからすれば、到底受け入れられないものとなりました。
しかしこの枠組みを動物愛護の精神に沿った形に改善できれば、もしかしたら時代に合ったサービスに変えていける可能性があるかもしれません。
例えば、保護猫が譲渡会に出るまでのお世話を引き受ける「預かりスタッフ」を募集する仕組み。
一時預かりという形式であれば、引き取り手が見つかった場合、利用者には終生飼養の義務が回避されます。
もちろん猫を迎え入れる環境に関する審査や定期的な監視は必要ですが、高齢者の利用に対する支障が少なくことが期待できます。またマッチングの前段階となる保護猫たちの居場所が確保されることで、シェルター側の負担軽減にもつながるでしょう。利用料についても一部預かりスタッフのフード代などに還元されればより社会奉仕の色が濃くなり、意義ある動物愛護活動としての認識も広がっていくかもしれません。
冷静な目で見れば今回の騒動から、社会全体で保護猫活動の在り方を考えていくための学びや気づきはいろいろとあったのではないでしょうか。
このコラムでも何度か書いていますが、日本における人間と動物の共生社会はまだ黎明期。排他的な感情で済ませるのではなく、時代を前に進めるためにこの先何ができるのか、模索するきっかけにつなげることも大切だと私は考えます。